古い本だけど『羊たちの沈黙』はやっぱり面白い

 何年かおきにふと読み返したくなる本がありませんか?
 僕にはあります。マーヴィン・ハリスヒトはなぜヒトを食べたか』、デイヴィッド・T・コートライト『ドラッグは世界をいかに変えたか』、岡田英弘歴史とはなにか』…。引越のときにほとんどすべての本を処分したのですが、これらとあと数冊だけは手放せませんでした。今も狭い部屋の隅っこに立っています。
 小説はほとんど読まないのですが、時々無性に読みたくなる本が1冊だけあります。トマス・ハリス羊たちの沈黙』です。


■『羊たち』というと圧倒的に映画の記憶のほうが鮮明ですよね、きっと。ジョディ・フォスターアンソニー・ホプキンス。ホプキンスはレクター博士が生涯の当たり役になったし、フォスターも強烈な印象を残しました。続編「ハンニバル」でクラリス役をキャストされたジュリアン・ムーアは少し可哀相でしたね。フォスターの劣化コピーのように見られて。好きな俳優ですけど。
 でも、僕はこの作品に限っては小説のほうが好きです。
 映画が素晴らしい作品だってことはもちろん認めます。ジョナサン・デミの監督も良い。低予算をものともせず、しっとりとしたインディペンデントっぽい画面で、戦慄の映像世界を構築しています。脚本も良い。ディテールが精緻でそのままの再現は不可能な原作を、手練の職人技で切り貼りして原作の本質を継承し、新しい魅力を創造している。奇跡のような作品です。
 でも、僕は小説版が好き。この新潮文庫は何度読んだかわからない。


■最初に読んだのは、映画が公開される直前だったと思います。飲み屋で読書家の飲み友達が「羊たちの沈黙は良かったよ」と教えてくれたのが平成2年くらいだったかと。文庫本のカバーは映画のイメージだったかな? もしかしてもしかすると、クラリススターリングの顔じゃなかったかも。
 この翻訳書は訳がちょっと堅くて、カタカナ表記の外来語や固有名に癖があります。味わいのある大好きな訳なんですけど、読みやすいとは言えない。でも、そんなこと気にならないくらい惹き込まれました。もともとハリスの原文はリズムが良く、読みやすいのです(僕は『ハンニバル』はハードカバーで読みました。面白い作品なら英語が気にならないことも稀にあるのです)。『羊たち』はきらきらした技巧的なとこもあるのでちょっとウザいのですが、それでもぐいぐい引っぱられる名文・名訳です。
「プロファイリング」という捜査概念も当時は新しかった。『FBI心理分析官』がこのちょっと後に流行りましたねえ。
 読んでから映画を見たのだけど、まとめ方の上手さに舌を巻きました。原作も映画も双方良い。スタッフとも読者・観客とも幸せな出会いをした、稀有に幸運な作品だと思います。


■それから何年かに一度、ふと読みたくなって読み返していました。20代から30代半ばまではとくに女主人公クラリスに感情移入しましたね。
 彼女はFBIアカデミーの学生という立場で現場仕事に抜擢され、本物の犯罪者や現場を牛耳る男たちの権力関係に巻き込まれ苦闘します。現実の犯罪(人質の命がかかっている)と、現場の人間関係、無理解な上司、理解はあるけど力の限られた直属上司、迫り来る試験と足らない単位……多面的にヒロインを追い込む絶妙なスリラーになってますね。彼女の奮闘は、下積みでなかなか報われることのない様子が若手サラリーマンだった自分のイメージに重なり、本書のクライマックスで主人公はアカデミーを放校になる覚悟で捜査を続ける、と決意します。情況に翻弄されていた主人公が情況に負けずに立ち向かうと決める、ここのカタルシスはすごいです。彼女を圧迫するサスペンスが強烈だからこそ、このカタルシスなのです。若い頃何度も読み返したのもむべなるかな、と今読んでも思います。
 それからしばらくして、ある時期から読み方が変わりました。あまりページ数はないのですが、連続殺人犯ブァッファロウ・ビルに感情移入してた時期がありました。彼は精神を病み、狂った欲望と職人的な執心に突き動かされて誘拐殺人を重ねます。ミステリなのではっきりと全貌が語られることはないのですが、彼の病態が徐々に明らかになるにあたり、何度読んでも恐怖が身体を貫くと同時に抗いがたい魅力を感じるのです。
 彼が人間の皮膚をなめしてボディスーツを作ろうと考える細かい描写、ダーツだのなんだのの形は想像できないのですが、わからないながらも迫力は伝わります。彼の執心が並大抵のものではない、ということが。古い映像に執着しビデオを繰り返し見る描写もいいですね。翻訳刊行時に日本で騒がれた連続殺人犯の青年を思い起こさせます。
 同様にこの時期好きだったのが、クラリスが被害者を思う描写です。自分が指紋を採取し写真を撮った死体の持ち主、美人じゃないけど身体の手入れは欠かさず、生前は白い肌が魅力的だっただろう被害者のことをあれこれ想像するヒロイン。この作品の魅力は、パッパッと短いイメージのフラッシュで心象描写をつなげていくところにあります。クラリスの回想はここに限らず魅力的ですね。
 この時期は僕自身うつ病を患い、読むものや見るものに対してなんだか変な感情移入をしてたんですね。トリイ・ヘイデンの本を繰り返し読んで泣いたり、B・E・エリス『アメリカン・サイコ』を読んで泣いたり、なんだか変なテンションでした。こういう趣味はしばらくして止みましたけど。
 最近お気に入りの部分は、クラリスの上司クロフォードが末期癌の妻を看護するシーンです。とくに終盤の描写は素晴らしい。感情めいた言葉を極力使わずクロフォードの動作描写を通して悲しみを形にして見せていくさまは、作者の技巧がいかんなく発揮されているのにイヤミではありません。きっとここを書くときクロフォードにすごく感情移入してたんだろうな、と伺わせる、実に美しいシーンです。今読むとこのシーンはたった2ページ半だと気づいて驚きます。まったく描写されないクロフォードの妻ベラの人生ですが、ごく短いなかに彼女の夫との幸せな結婚生活を伺わせるあたり、本当に素晴らしい。文章の技巧とはこういう風に生かすものなのだと読む度に思います。
 また、年取って改めて気づくのは、本書にしばしば登場するクラリスの幼少期の記憶、これの重さですね。誰にもこういうことってあると思いますが、僕にもあります。自分が生まれた山間の田舎町の風景が突然フラッシュバックすることとか。ここらへんの描写も胸を締め付けます。


■そして何度読んでも息を呑むのが、主人公が最初の被害者の家に聞き込みに行くシーンです。物語の終盤、クラリスの反撃です。反撃といっても超地味なんです。結果的にはこの地味な捜査が逆転本塁打につながるのですが。
 彼女が自分で決めて始めた一人だけの捜査はオハイオ州の田舎町へと向かうのですが、ここで包み隠さぬアメリカの荒涼とした原風景が描かれます。退屈な田舎町、貧しい庶民の暮らし、田舎から出ずに終わるかもしれない太っちょの少女、少女のささやかな希望、彼女を襲った突然の暴力。圧巻だなあ、といつも思うところです。連続殺人の犯人も被害者も、そしてそれを捜査するFBI候補生も、みんなそれぞれ厳しい人生と苦闘しており、社会の底辺でもがいている。それがよくわかる。
 本書の舞台は80年代の景気後退期にあったアメリカ、とくに地方は工業地帯が空洞化したりと今世紀に続く構造不況の最初の荒波が押し寄せていました。本書が描写する田舎の人々の出口のない感じから、こうした世相を読み取ってしまうのは恣意的すぎるでしょうか? この出口のなさは今や全世界に波及しており、日本も例外ではありません。このざらざらした心象を鮮烈にページに焼き付けている、僕はこの本が好きです。
 そして、絶望的な情況を切り開き運命を変えるのは、主人公の不屈の努力なのです。ここも、いいですね。


■ご存じの通り、映画は大ヒットしてその筋の評価も高く定番の名作となりました。小説も長く読み継がれています。レクター博士の物語は市場のリクエストもあって書き継がれ、次々とまた映画化されました。しかし、続編『ハンニバル』はちょっと残念な出来で、さらに前日譚の『ハンニバル・ライジング』ははっきり言うと失敗作だと思います。
 全世界が期待した『ハンニバル』はたしかにデラックスな小説にできあがっていましたが、僕が好きだった社会の底を這うような人々の描写はなくなりました。作者の興味がこういう人たちに向かなくなったのか、とも思わせます。映画化は僕も好きなリドリー・スコットが職人技できれいにまとめていましたが、『羊たち』のように的確かつ美しい原作の再構成は達成されておらず、エンディングは大きく改変されました。実は原作がちょっとまずかった?という疑惑が露呈したんじゃないかと思います。
 番外編『ハンニバル・ライジング』は、いや面白くないわけじゃないんですが、ことさらエキゾチックな日本人女性キャラを出したせいで、僕たち日本の読者はかなりがっかりしました。該博な知識を持ち、何事にもしっかりした描写をすると思っていたトマス・ハリスが、意外と半端で虚仮威しな描写をすることもある、とわかってしまったのです。ハリスの作品のとりわけ精緻なディテールが好きだったのに、日本文化のこととか原爆に関わる史実や習俗とか、欧米では知る人が少ないことだと案外テキトーなことも書くんだな、と。そう思って見てみると、それまで魅力的だった部分も「もしかすると、知ってる人はシラけるような知ったかぶりなのかもしれない」と思えてきます。残念なことです。
 話はちょっと変わりますが、町山智浩さんがTwitterで僕のことを「彼は病気により、ほとんど生産高がなかったが年収は1300万円以上だった」と書いたとき、同じように残念に思いました。町山さんの書くもの、紹介する映画など大好きなのですが、彼の大変面白い言説の中に、テキトーな部分や又聞きのウソが混じっていることもあるかもしれない、と思えてしまったからです。町山さんはノンフィクション映画の紹介を積極的にしてますが、彼の解説が大胆で面白ければ面白いほど「ホントか」と思ってしまうようになりました。
 ま、そうは言っても相変わらず『レッド・ドラゴン』や『羊たちの沈黙』は大好きだし、町山さんの書くもの、喋ることも大好きですけどね。


■とりとめのない感想文ですみません。引越で散逸してしまった本ですが、先日フリマで見かけて買って読んでしまったんですね。
 最後に『羊たちの沈黙』から僕の好きな名言をご紹介します。
 一つめ。
「人はどのようにして熱望し始めるのだ。人は、毎日見ているものを熱望することから始める」
 ご存じ、レクター博士クラリスに示唆した連続殺人犯を突き止める重要なヒントです。でもこれ、至言だと思います。好きだから見るようになる、んじゃなくて、毎日見てるから好きになる、ってこと。これは強化とか学習といった認知のプロセスにも関わる話だと思うし、もっと卑近な生活の知恵にもなると思います。
 二つめ。
「人は局に恋をしてしまうが、局は恋してくれない」
 これはもうすぐ定年でFBIを退職するクロフォードがオフィスから外を眺めるシーンの地の文です。数年ぶりに読んだのですが、今回は自分が会社を辞めた後だったのでことさらこの1行にハッとしました。会社を辞めるときに大騒ぎをしたのもずいぶん昔に思えます。ははは。
 若いとき好きだった本からまた新たな発見をする、とても幸せな経験でした。「ありがとう」と言いたいですね。