物欲が湧かない

 このところ、超久しぶりに物欲が湧いている。サムソンのギャラクシータブが欲しいなあ、と思い始めたのだ。


■ギャラクシータブはiPadの半分ちょいの大きさで、ほぼ同じような性能、さらにカメラがついてて電話もできて、という端末だ。僕は1年くらいiPhoneを使っているけど、今年はめちゃめちゃ老眼が昂進してしまってiPhoneでは辛いことがしばしばだ。もうちょっと大きい字で読める端末が切実に欲しい。
 もう一つ、欲しい理由。ずっと使ってきたdocomoの携帯電話だけど、去年movaからfomaプラダフォン(LG製)に変更した。movaはもうなくなるからポイント使用だけでfomaの端末にしてくれ、とdocomoが頼んできた。だから機種変更してやったんだが、このプラダフォン、死ぬほど使いにくい。
 今どき感圧式タッチパネル(流行のタッチパネルは静電容量式だっつーの)だし、それがまた狙ったところをクリックできない(どうもズレる)、メールとか各機能の階層が深すぎて不自由なタッチパネルを死ぬほどクリックしなければならない、電池がいきなり切れる、などなど不出来なことこのうえない。
 この糞のような端末をなんとか手放したいのでdocomoで乗り換えたい、どうせdocomoではほとんど通話しないのでタブレットでいいや、ということでギャラクシータブが欲しくなったんだけど…。


■先日docomoの店に行ってギャラクシータブの動く展示品を触ってきた。その感想なんだけど、ちょっとがっかりだった。
 展示品の個体差なのかしれないけど、動作がもっさりしている。とても1GHzのプロセッサを積んでるようには思えない。体感的にはiPhone 3GSの方が速い。とくに日本語入力はがっかりだった。キーストロークというかタッチしてから表示されるまでに間があるのを感じる。
 Androido 2,2ってさぞすげーんだろーな、iOS4なんか目じゃないんだろ、くらいに思ってたんだけど、パッと見には良さが全然わからない。インターフェイスがダサい(ボタンが使いにくいところに配置してあるとか、直感的に操作がわからないとか)し、ボテボテ動いてる様はiPadのバッタモンに見えてしまう。期待してたのに残念だ。
 サムソン、今やソニーを凌駕した世界企業だと思ってたんだが、LG製とあんまり変わらん印象だ。ちょっとがっかりだ。がんばってほしい。Androidのバージョンがもう0.1上がって最適化された頃にまた検討しようかな。プラダフォンも一応2年縛りだしなあ。


■今日はヤマダ電機から液晶テレビの配送があった。先月、エコポイント半減前に駆け込みで買ったやつが今日納品になったのだ。2週間かかったぜ。
 6万5千円で売ってた32型、エコポイントで15000円バック(古いテレビの処分3000pt含む)、ヤマダのポイントが2万あったのでお金は3万円しかかからなかった。安いなあ。15年くらい前にソニートリニトロン10インチってやつを買ったけど、もっともっと高かったぞ。って昔話は関係ないか。
 先月半ばに郊外のヤマダ電機に買いに行ったときは、かなり疲れたのだった。駆け込み需要のピークで週末は混んでるだろうと平日夜とかに行ったので店は空いてて選び放題ではあったのだが、何を基準にテレビを選ぶべきなのかさっぱりわからないのだ。
 どのメーカーも黒枠の平べったい機種ばかりで同じに見えるため、並んでる展示品を見ているだけで疲労困憊する。メーカーの違い、スペックの違いもわからない、時々ハードディスクレコーダを内蔵してるのがあって、外見はまったく同じなのに不意に高かったりしてびっくりする。40インチ以上の大画面が並んでいると40インチじゃ小さく思えてきて、自分の家に収まる大きさがどんだけだったかもわからなくなる。楽しい買い物のはずなのに、そのうちに無力感に苛(さいな)まれてくるのだ。
 本来は、テレビとか買いに出かけると楽しいはずだろ。新機種を見るのも面白いし、物欲が盛り上がるのも楽しいし、狙った機種を押さえられたら爽快だし、店員相手に値切り倒したら達成感も相当だ。買い物はめくるめくエンタテインメントのはずだった…。
 それがいま、苦役のような虚しさと徒労感だけがある。僕はほんとにこのテレビどもが欲しいのだろうか?


■よくわからないまま、なんとなくシャープの製品にした。リモコンの反応速度が快適だったから(地デジはアナログと違ってザッピングがパッパッとできないよね)。40インチを買うべきなのかと思ったが、今居間に置いてるのが22インチだということを思い出し、巨大なやつを買うのは思いとどまった。32インチがせいぜいだろう、と特価品をポイント使って買った。精算レジは10分待ちで、配送日を決めて帰る頃はもうぐったりしていた。
 でも実機が届いてつないでみると、なかなか快適で嬉しい。画面が一回り大きくなったことよりも、反応速度が良いことや、画面の明るさが自動調節になってること、HDレコーダとリモコンを共用できることとかが気に入った。手元に商品が届いてやっと物欲が起動した感じだ。物欲、遅すぎ。


■僕はもう初老なのだろう。物欲が弾(はじ)けない。とくに引っ越して部屋が狭くなってからはなるべくモノを買わない増やさないようにしているので、自然と物欲も抑制される。読みたい新刊を買うかどうか悩まねばならないのが辛い(本を買うといずれ近いうちに処分しなければ部屋が狭くなるからね)。
 物欲、所有欲は年を取ると弱ってくる。性欲とかもそうだが。最近とくに思うのが、食欲はあるんだけど食べられる量が減ったこと。今日は飲むぞ!と気合いを入れてもビール1.5リットルを過ぎると頭が痛くなってくるし、肉なら150g過ぎると飽きるし腹がつかえてもう食べられない。野菜はけっこうたくさん入るし好きだけどねえ。
 物欲、所有欲、消費欲は資本主義経済ではとても大切なエンジンだ。高齢者はこうした欲求が小さいので、経済学者や政府や官僚は若者に期待するのだ。若者が恋して、欲望全開になり、乏しい収入を全部使って消費してもらいたいのだ。
 ところが当今の若者はバブル世代と違って可処分所得が少ない(本当か。通説かもだ)し、そのうえ貯蓄性向が高いし(これもホントか)、若者のなんとか離れがいろいろ加速している(これこそ本当か)。「なんとか離れ」がいちいち論じられるのは、高齢者には消費エンジンになってもらえないからだ。どんなにカネがあっても高齢者の消費キャパシティは限られている。欲望が小さいから理性や良識が勝つ。
 バブルの頃、某月26日の朝方、池袋駅前を歩いていると(徹夜で飲んだ翌朝だ)、同じく徹夜で遊んだOLと思しき二人連れが飲み過ぎた腫れぼったい顔で「あー、すっからかん。今月どうしようか」と、それでも爽快そうに話していた。そう、これが期待される若者の消費だ。無軌道で分別も計画性もなく衝動的。このようにカネを使う人がいて始めて、消費サイクルのエンジンが力強く回る。若者は消費エンジンのシリンダーの中で爆発する量=排気量だね、これが大きい。年寄りは排気量が小さく、回転数も低いので運動エネルギーが小さい。おまけにアクセルをちょこっとしか踏まない。若者は信号が青になった瞬間に意味なくベタ踏みするしね。


■若い頃なら、無分別にギャラクシータブだろうが新しいパソコンだろうが買ってしまっていただろう。分別がついちゃったな。考えれば、ギャラクシータブは高価な買い物だって言っても、僕が20〜30代の頃買ってたパソコンよりはずっと安い。あの頃、遅い遅い16ビットのモノクロラップトップがたった19万円だぞ!と喜び勇んで飛びついてた。翌年、カラーになった新機種を買い足したりして。どこにそんなカネがあったんだ。
 今はとてもとても高性能なタブレット端末を「5万円は高いな」などと二の足を踏んだりしている。タブレット端末はBluetoothキーボードを足せばまんまパソコンと言ってもよいくらいの高性能品だ。15年前とかから比べると夢のような魔法のような代物なのに。なんでこんな理性が働くの。なんで物欲で理性が吹っ飛ばされなくなったの。


■コストカットは、結局誰を幸せにしたのだろうか。民主党の目玉イベントだった事業仕分けは、去年は人気を博したけど今年はなんだかよくわからなかった。何度も仕分けてるとこれ以上仕分けることができない局面が必ず到来するし。
 いろんな会社でいろんな部署が目の色を変えてコスト削減に邁進している。で、支払うカネが減ったと安堵した次には、自分とこの売上もがっつり減ったことに気づく。みんなが支出を減らせば収入も減るんだよ。二酸化炭素や窒素酸化物、汚染された排水を減らすのとは意味が違うんだよ。
 僕が働いていた会社は、業界では放漫経営っぽく言われていた。フリーの人たちからは「あそこは緩い」と言われていたと思う。出入りの業者さんからもあまり値切らずに買っていたはずだ。僕が知っている限りはそうだった。
 だけどここ数年はコストカットに次ぐコストカット、原稿料も納入価額も下げ、給与も下げ、正社員も削減した。その結果、おっとりしてて金離れの良い社風が失われ、どこにでもあるちまちました社風になったのかもしれない。
 金離れが良いことは美風だった。ある時点まではそれを目当てに良い人材が集まっていたし、付き合いたい取引先とも言われていた。ヌルい社風だったけど、ある意味確実に取引先を幸せにしていたことは確かだ。そういうことは、今はないだろう。
 世の中のすべての人が、ヌルいお客で、金離れが良くて、宵越しの金は持たねえって感じで、見栄っ張りで、奢るのが好きで、愚かだといいなと思う。それはきっと楽しい世の中だ。ちょっとバカかもしれないけど。賢く生きなければならない現代は、ちょっと辛い世の中だと思う。
 ムーミンに出てくるスナフキンは所有するのが嫌いで、身につけている古着と、ハーモニカ以外は何物も持たないのだという。格好いいよね。でも、それは欠陥だらけの生物であるヒトとしては辛い生き方だと思う。そして現代という時代は我々に、スナフキンのように生きることを徐々に強要しつつあるような気がしている。

 これの黒いのを買ったみたいです。快適です。