犬税は、懲罰ではない

■前に書いた「犬税」について、ちょっと書き足しておきたいことがあったので追加します。
 東洋経済新報社超ヤバい経済学』(レヴィット、ダブナー)からの引用を改変してメモしておきます。

税金を課すからって、その人は犬を飼うのをやめようとは思わないかもしれないし、そもそも思わなくていい。税金を課すのは、犬を飼う人に自分の行動で発生するコストを全部負担させるためだ(経済学者の業界用語で、これを外部性の内部化という)。


 僕が「犬税」という話で言いたかったのは、「犬の糞を放ったらかしにするけしからん飼い主から金を取れ」ということではなくて、「大勢が犬を飼うとどうしても、糞を片付けない、犬を捨てる、犬を殺処分するといった誰も望まないことも起きる、その社会的コストを受益者に負担してもらうのはどうか」という提案にすぎない。
 犬税のエントリをアップしてTwitterで流したら、「今『獣医ドリトル』で犬を殺処分する悲しいシーンなのに、なんて無神経なことを言うのだ」というレスポンスをいただいた。犬が悲しい目に遭ってるシーンを自分が見てるとき犬に課税する話を聞きたくない人がいる、というのは勉強になった。知らんがな、と思うが。
 ちなみに僕は犬を殺処分することについて、しかたのないことだと思っている。ちょっとニヒリスティックだけど。現代の日本では犬は経済動物だからだ。走れなくなった馬が殺されるように、愛されなくなった犬は殺されてしまうのだ。経済的な原理原則からいうと、こういうこと。
 犬税を取るということは、現在は完全に民生主導、市場での活動に委ねられている「犬」というトピック(産業)に官を介入させることを意味する。愛されない犬(売れ残る犬)を処理するのではなく官の介入で別の飼い主にマッチングさせることができないか。その予算として犬税を導入するのはどうか、という話だ。思考実験だ。


 税金は懲罰的に課せられるものではない。僕が犬の糞を見て憤慨して思いついたわけではなくて、「放置された犬の糞は一種の社会的な問題なので、これを制度的に解決する方法はないものか」と思っただけだ。そして放置された糞や捨てられる犬をなくす方向でインセンティブを形成できないかと思ったまでだ。


■全然関係ないけどサムスン電子GALAXY Tabを買った。先週からキャンペーンで安くなったからだ。iPhoneと比べるとユーザインタフェースはカクカクしていて使い勝手や格好は悪いけど、いろんな人が寄ってたかって作っているAndroidの世界に触れられるのは面白い。なによりなにより、プラダフォンという最悪のガラパゴス携帯を手放すことができたのが嬉しい。あれは……ほんとになんだったんでしょうね? 違う意味で歴史に残る端末だと思います。