あけまして「おせち事件」雑感

 あけましておめでとうございます。昭和86年が明けました。元号が変わって20年以上経つのにまだ平成に慣れません。個人的にはずっと昭和を使ってます。この方が自分の年齢とか数えやすいし。


■クーポン共同購入サービスの何が問題だった?
 さて、昨年大晦日にネットで火がついた「●ルーポンで買ったおせちが酷い!」件、これといったニュースのない年始に一部の方を大いに楽しませたようですね。僕も楽しんだ1人です。他人の不幸はメシウマー。下品ですね。ごめん。
画像はこちらから拝借しました。
 この事件からはいろんなことがわかりました。クーポン会社が取る手数料が定価の25%、つまりクーポンはたいてい半額で売ってるから手数料は実売上の50%にものぼる、という構造。その店を初めて利用する客にクーポンを売る、基本は一見(いちげん)さん専門で、普段から愛用してる客は想定外であること。問題のおせちを売った店では許容量を超えてクーポンを受注してしまったのか、あるいは最初から写真とは異なるものを売るつもりだったのか。豚肉、鳥肉、魚卵などが謳い文句と違って産地も品質も偽装されたものだったらしいこと。他の半額クーポン提供店では、2500円のコースを5000円と偽って「50%オフで2500円」と提示する、価格の偽装が行われてたくさいこと。「大勢の客に通常の半額で提供する」という少々無理のある集団クーポンサービスの暗黒面が次々露呈したと言えましょうか。
 でも、こんなことは本質的な問題じゃないような気がするんです。


■激安クーポンを使ってみたけど
 僕も何度かネットで買ったクーポン使ったことがあります。幸い、値段が偽装されてたとか、食材が偽装されてってことはありませんでした。量も十二分で、店から出るとき「もう食えん」と腹を抱えたほど。
 けどね…もうクーポンはいいや、と思うんです。
 たしかにクーポンを買って使うと、お金はセーブできます。でも僕には、それで失うものがいろいろあるような気がするんです。つまり、あんまりトクじゃないんじゃない?と。
 激安クーポンの残念なとこを思いつくまま挙げてみます。
1)選択肢が硬直してる
 ネットでクーポン買う時は、食べる直前とかじゃありません。お店に行って卓について食べるときとは腹具合が違います。卓についたとき「食べたい」と思うものを食べられるとは限らないんです。
2)たいてい、量が多すぎる
 激安クーポンで「当たり」とされるお店は、たいていちゃんとした量を出してくれます。ていうかかなりの量が出てきます。むしろ多すぎるというか。
 量というのは外食産業ではとても重要です。外食文化(?)においては「量≧味」という公式があるようで、味は凡庸なのに量が多いというだけで人気店になって行列ができたりします。ていうかラーメン店の行列は味より量が多いからってだけですね、最近は。「量」と「味」を取り違える人が多くなってるのかもしれません。
 でも僕はもう年なので、あんまりたくさん食べられないんです。いや、無理すれば食べられますけど、無理して食べても美味しくないし。
3)品目をチェックするのが煩わしい
 クーポンには提供されるコースの料理名や、名がなくても品数が明示してあります。クーポン使って食べるとき、出てきた料理を数えちゃいませんか? あと何品とか、これは出たとか、まだ出てないとか。もし買ったクーポン通りの数が出てこなかったらクレームしなきゃいけないし。
 これ、面倒です。僕はこういうの耐えられない。こんなこと気にしてたら料理味わうなんてできません。
4)クーポンで食べるときの雰囲気がイヤ
 クーポン使って食べてると、サーブしてくれる店員さんの視線がちょっと冷たいって感じがしませんか? いや、良い店の店員さんは客によって態度変えたりはしないし、客だって激安クーポン使うことに引け目を感じる必要はないんですが。でも、事実としてクーポンを使うと店員さんの態度がイマイチになる感じ、ありませんか?
 前にクーポン使った中華のお店は、店員さん一所懸命サーブしてくれたんですけど、「あと何品」ってこっちがチェックしてる空気が伝染したのか、「これで何品」「あと少し」「やっと終わった!」って態度が露骨に出ちゃってました。人間だもの、いくら抑えてもこういう心理は露呈するよね。しょうがない。
 でもこういう小さいことが、食事の味に影響するんだよね。食べることって、人間にとってちょっとした自由と尊厳をもたらしてくれるんです。それが、なんだか台無し。尊厳のない食事は美味しくありません。
5)激安クオリティが拡がってゆく
 これまで挙げた例はいずれもクーポンを買ったらこんな感じだった、というだけで、クーポンを買わなければ避けられることです。そんなにクーポン嫌いなら買わなきゃいいじゃん、というだけの話。だけどね、激安クーポンの副作用ってのはクーポン利用しない人にも拡がっていくんです。
 激安クーポン出してる店に普通に行って、クーポンじゃなくて普通に注文して、隣の客が同じものをクーポンで安く食ってたらどんな気分? クーポンって基本、その店のリピーターは使えないものみたいだけど、クーポン客でいっぱいの店内でクーポン使わずに食べるってどうなの? 負けた!とか思わない?
 クーポンで流行ってる店は盛りがいいけど、味はイマイチだったりしない? 「美味しくないけどたくさん出てくる店」ってことじゃない? そういう店を愛用したい?


■激安クーポンに感じた違和感って何だったんだ?
 美味しいものが安く食べられるのはいいことだ。ということで大流行したクーポンビジネスだけど(僕みたいに流行に疎い者でも経験してるんだから大流行って言っていいよね)、ここに来てどうやら美味しいわけじゃないぞ、という反証が出てきたのかな。
 僕は、ふだんは近所の八百屋と魚屋で買ったものを自分で料理して食べている(肉はスーパーで買うけど)。たまに外食がしたいときは、よく知ってる店に行くか、初めての店ならまずランチで偵察してから、となる。ほんとはこんな面倒くさい手続き踏むんじゃなくて、いきなり入った店が美味しかった、なんてのが好きなんだけど。最近は新しくできたお店が激しくハズレだったりすることが増えたから、注意深く選ばないと。人生で数少ない食事の機会を、美味しくない食事で使ってしまうのはもったいない。美味しく食べるためには健康と空腹と良い料理、良いお店…といろんな要因が必要だ。それらが揃うのは稀有なことだ。
 たまたま美味しくない店に当たったとき、スタコラ逃げ出す自由も重要だ。前菜や始めの数品で美味しくないのがわかっても、最後までコースを食べなきゃいけないなんて地獄じゃない?
 けっして安い値段じゃないかもしれないけど、快適なサーブで美味しいものを食べる喜びってあると思わない?  相応の代価を払うことではじめて得られる尊厳って大事じゃない?
「21000円が10500円だから」「鹿児島黒豚、フランス産カモ、国産和牛だから」「飲み放題だから」って数値やスペックでは美味しいかどうかって決まらないと思わない?
 自分が食べたいものが何か分かってれば、その代価を惜しむ必要はないと思わない?
 ちゃんとしたものを提供するお店は、ちゃんとした代価を受け取るべきだと思わない? この「ちゃんとした」ってとこが、お互いの尊厳に結びついてると思わない?
 …なんてことを考えたのでした。さて、クーポンの予約電話かけなきゃ。まだ使ってないのがけっこうあるんだよなあ。


■【追記】この言葉は聞きたくなかった

ほんと、小学校のいじめと変わらんな。いじめられてる奴を庇ってる奴までいじめられるという。。。

さらにそれに乗じてビジネスが上手く行っているグルーポン社の粗捜しをしたり、
さらにその類似業者の粗捜しまでするというのははっきりいってやり過ぎだし、調子に乗り過ぎだろ。。。

 堀江貴文氏とかがTwitterで上記の発言をしたことも話題になってましたね。僕はこれ仕方ないと思うよ。ていうかホリエモンが言うなよ、と。
 2ちゃんを筆頭とするネットの様々な人が当該企業について調べて書くのは、誰も止められないよ。というか堀江氏の大好きな市場の自浄作用でしょ、ネット言論も。それで当該企業が潰れても、市場による淘汰だし。ホリエモンにはこんなこと言ってほしくなかったなあ。市場って、小学校みたいなもんなのかもよ。


 クーポン共同購入サービスは新たな需要を発掘し、小売業に刺激を与えたかも知れません。しかし、激安クーポンの隆盛の陰で、安いけど美味しくないお店が増えた、サービスに見合った対価を受け取れない店があった、羊頭狗肉のクーポンで利益を出さねばならなかった、といった負の側面もあったんじゃないか。
 ここは一つ、市場がきちんと機能して、美味しいお店が適正な規模のお客さんを集められるようになっていくといいなー、と願うしだいです。