同窓会で45歳になった同級生たちと会った

■「青い珊瑚礁」から30年めの夏
 僕らが高校に上がった1980年の夏、巷では松田聖子のデビュー2曲目「青い珊瑚礁」が大ヒットしていた。余人に真似できぬ透明なハイトーンから始まる名曲だ。
 同時期、15歳(なんと同い年だ)のブルック・シールズが主演した同名の映画もヒットしていた。若いブルッキーが惜しげもなくまぶしい肢体をさらして見せる…といっても肝心なところは見せてないわけだが…セクシーな映画のイメージとあいまって、聖子の歌にも清純なアイドル歌謡とは違った妖艶な何かがまとわりついているように感じた、15歳の夏だった。
 それから30年経った夏、僕は「同窓会をやるから来ないか」との誘いの電話を受けた。なにも帰省ラッシュのお盆にやることもなかろうに、と思ったが、それは都会でブー太郎をやっている僕の感想にすぎないわけで、世間ではやはりお盆のほうが集まりが良いわけだ。これまで何度か同窓会の誘いがあったが盆暮れだったので参加せずにいた。今年はせっかく無職なんだから出てみるか、と猛暑の東京駅から「のぞみ」に乗り込んだ。
 岡山の市電通りが右に急カーブする城下(しろした)交差点にある小洒落たお店を貸し切りにして、同窓会は始まった。まだ16時、東京よりずっと西なので日も高い。東京は日没時間が1時間くらい早いのだ。これは冬場だと体感的には16時にはもう日が没するわけで、うつ病体質の僕なんかはひどく堪えるのだ。逆に日が長いだけで落ち着くわけだ。
 だが会場を見渡すと、どうにも落ち着けない。なにしろ27年ぶりだから顔を見ても誰だかわからないし、そもそも記憶力が悪くて名前を覚えていない。名刺をもらってやっと名前がわかるのだが、現在無職の僕には名刺がない(笑)。とくに、20人ほどの参加者のうち半数に及ぶ女子たち(もと女子、と言うべきか。いや、女子は何年経っても女子だな)がかまびすしく、僕には誰が誰だかわからないのに彼女らは僕のことをちゃんと覚えてて当時のあだ名で呼びかけてくる。この情報格差には萎縮せざるを得ないわけで。
 そこにドアが開き、遅れてきた誰かが入ってきた。一目でモノが良いとわかるロングスリーブのシャツ、シルエットの美しいパンツにエルメスのベルトを締めている。すらっと長身で歌舞伎役者のような整った顔立ち。「あれ、誰だ?」。そばにいる男に耳打ちして訊く。
「カマ子だよ」
「えーっ!! ○○かよ? まじ!?」。僕は思わずそう漏らした。で、遠くからそっと伺うと、たしかに当時の面影があるような。


■「カマ子」と呼ばれた少年、ナウ・アンド・ゼン
 僕が通った高校は私立の中高一貫校で、僕は高校からの編入だった。当時僕が住んでた学区は公立高校が選抜制で生徒たちは荒れていた。親は公立校に進ませるのを忌避し、少々無理して隣県の私学へ僕を進ませてくれたのだ。
 今考えるとたいへん学費の安い私立で良心的だったが、それでも同級生たちは家が裕福な連中が多かった。僕も例によってバンドなんかやってる連中と付き合ったが、家を訪れるとドラムセットや高価なアンプを持ってるやつが多くて驚くのだ。後で考えると、勤め人の子弟ではなく事業家や医者の子弟が普通の割合よりもかなり多かったんだな。みんながみんな裕福ではないが(事実、僕の家などはつましい勤め人だった)、なんとなく余裕があっておっとりした生徒が多かった。良い雰囲気の学校だったわけだ。
 その新しいクラスに「カマ子」はいた。中学から持ち上がった彼は、さっぱりした身なりでちょっとぽっちゃり気味の柔らかそうな肌が白い、今思うとたいへん可愛い少年だった。美少年、というやつだな。そして何より、周囲の女生徒よりも女らしい所作で、ハイトーンの女言葉を喋るのだ。
 生まれてからそのようなキャラを初めて見る、山出しの少年だった僕は唖然とした。どう形容してよいのやら。彼をよく知る、これも中学からの生徒がふざけて「どこで取れたんかの、あの生き物は」などとコメントする、それが妙に実感があっておかしかった。
 当時の彼(つい「彼女」と言ってしまいそうになるが)はもちろん学生服を着ているのだが、何人か仲の良い女生徒がいて、彼女らといっしょになってキャラキャラかしましく笑い合う姿は実に違和感がなかった。
 高校というとギャング・エイジも終わり頃だが、それでも男生徒の間には一目置いたり置かれたりといった強弱・軽重の人間関係が存在する。僕もそういうのにやや苦しみ、自分が落ち着けるコミュニティを探し出すのに時間がかかった。その間にタバコを吸って謹慎処分を受けたり、万引きで捕まったりした。子どものそういう反社会的行動は、ほとんどが「自分の居場所」を求めてのあがきなのだ。今ならそれがよくわかる。
 カマ子はそんな男子生徒のコミュニティとはやや違うところ、女子生徒枠というか、男子コミュニティにも女子コミュニティにも属しているような、どちらも属してないような、彼独特の生態系に位置していた。男子なら誰にも「何かで自分が認められたい」という承認欲求がありそうなものだが、彼はそういう衝動に振り回されることなく恬淡として、毎日仲の良い女の子たちと楽しく過ごしているように見えた。
 だが決してそうではなかったのだ。少なくとも、現在の彼の姿からはそうでないことが感じられるのだ。


■40過ぎた人生は顔に出る
 同窓会の宴が盛り上がるなか、幹事が「ここから近いので、ライトアップされた後楽園を散策に行かないか」と提案した。ふうん、それは良いかもね。12名ほどがタクシーに分乗してすぐ近所の後楽園に向かった。
 
 間違えて正面入り口ではなく駐車場側に入り込んでしまった。ここから入り口までは園の外周をぐるりと回らねばならない。だが、おかげで美しいものを見ることができた。水面に映る岡山城の姿は園内からは見えないのだ。
 
 やっと園内に入り、イルミネートされた後楽園を歩く。なるほど幻想的で美しい光景だ。だが写真には写らないもののたいへんな混みよう。そんなに広くない散策路に人が溢れている。中国語の会話も聞こえる。僕らは一団を維持できず、前後ばらばらになってしまった。
 女子グループが遅れている。反対に、カマ子はゆったりした足取りながら人混みを上手にかき分けて前へ前へと進んでいる。彼に近づいて「後ろを待ってようぜ」と言おうとしたのだが、後から後から人混みに押され、立っていると邪魔になるのだ。
 もうさっさと行こう、というニュアンスでカマ子が僕の背中に触れ、歩くよう促す。その手がとても柔らかく温かく、僕は暗闇のなかで赤面してしまった。
 高校の文化祭で、しっかりとメイクしてドレスを着た彼女(失礼、これ思い出すとどうしても彼と呼べない)の印象を思い出した。あれはほんとに綺麗だった。あれから30年近く過ぎたわけだが、その美人が暗闇のなか僕のすぐ側にいるのである。不覚にもドキドキしてしまいましたよ。
 やっと明るいところに出た。もう出口も近い。園内は無風だったのでみんな汗びっしょりだ。早く店に戻ってビールを飲みたいものだ。僕らは来た時のようにタクシーに分乗した。僕はまだドキドキがちょっと続いていたので、彼とは別の車両を選んで乗った。
 現在、彼は高度な専門職に就き、同時に大学で教鞭を執っているという。話をしてみると具体的でわかりやすく、また示唆に富んでいて面白い。案の定、この場でも女子たちが彼に、子どものこと、家族のことを相談したり質問したりしている。女性的な所作を見せることはもうないみたいだが、ユーモラスで当たりが柔らかく、どんなことでも話しかけやすい印象は昔のままだ。きっと男女を問わず、仕事の依頼者、また学生たちから信頼を置かれているに違いない、と僕は思った。
 後で知ったのだが、僕が第一志望の大学を落ちて広島の予備校へ浪人しに行った(それがまたいろいろ悪さを覚えて楽しい浪人生活だったのだが)頃、彼は現役で難関大学に入り、大学院を優秀な成績で出て、厳しい仕事をしながら学位を取得したらしい。ずーっと努力を続けてきているのだ。
 振り返って自分を見ると、同じ20数年間どんだけ努力したか、どれほど厳しい局面に自分を置いてそれを乗り越えようとしてきたか、比べると……恥ずかしくなる一方だ。
 同窓会の会場に戻ると、彼はまた自然に女子の一群に混じり、会話を楽しんでいる。誰もが自我に不安を抱える高校生の頃と違い、ここにいる全員がそれぞれリラックスし、お互いの「今」を披瀝し合っている。大病を患うなど、人生の大きな節目を乗り越えてきた仲間もいる。残念なことに亡くなってしまった同級生の噂も聞く。四半世紀も経てばそれなりにいろいろある。
 だが、その人その人が過ごしてきた年月は、隠しようもなくその顔に出る、と思った。とくに誰に知られることもなく積んできた努力は、この年代になると顔に出てしまう。自信が物静かな態度を、余裕が人への優しさを作らずにいないのだ。
 高校時代、彼の物腰を見て笑うことがあった。今思うとなんと馬鹿な振る舞いだったことか。そういうわかりやすいフラグの裏側には、他の誰よりも鋭敏で、相手を思いやることのできる豊かな感受性、そして静かに耐えることのできる強さがあったのだ。そういうものがわからない、そういうものの価値を知らないのが少年時代だ。いま、そういうものがどれだけ価値があるか、僕らは身を以て知りつつある。
 僕はもう一度、カマ子を見やった。かつてカマ子と呼ばれた少年の姿はそこになく、素敵にスタイリッシュな中年男性がいる。だがそれは「ちょいワルおやじ」などと手垢のついた消費アイコンではない。彼が自分だけの努力で獲得した大人の姿だ。いや彼だけではない、みんながそれぞれ積み重ねてきた20数年を背負ってここに来ている。僕は不覚にもちょっとウルッとなった。
 同窓会というとオヤジ同士のゴルフ談義、艶笑話を連想してしまうが、事実そういう話もみんなしていたわけが、それがそれだけに留まらないんだよね。じっと聞いてると、当たり障りのない話をしている当人の、実は当たり障りも山も谷もある人生が透けて見えてくる。その顔に刻まれている。これはなかなか楽しいイベントだったよ。
 忙しいなか素敵なイベントを仕掛けてくれた幹事に感謝。また来たい、と思う集まりだった。
 高校の3年間はただの3年間ではない。45分の3年ではないのだ。18分の3年という濃密な時間なのだ。僕は翌日、在来線で実家に向かった。
 
 車窓の両側にはこんな景色が広がっている。こういう風景のなか、僕たちは3年間、片道1時間の電車通学をしてきた。途中下車して遊び、図書館で受験勉強し、干拓地でタバコを吸った。いずれも忘れられないことだ。そう、彼は松田聖子が好きだった。ちょっとハスキーボイスな「青い珊瑚礁」をどこかで聞いた気がする。
 同様に、夜の後楽園を汗びっしょりになって歩いたのも忘れないことだろう。もしDNAがこういう記憶をも運んでくれるなら、二重らせんのどこかに刻んでおいてくれると良いのに、と思う。


■番外編
 
 読めますか? 地元の駅を降りたところにこんな石碑があります。これは普通ですが…
 
 下がちょっと切れてますが、この標語はいかがなものでしょうか。石に刻んで何百年も見せなきゃならないぐらい、この町では問題が大きいのでしょうか。さて。