水木マンガで育ってきた

■掲載時の空気を缶詰にした『オリジナル版 鬼太郎』
 NHK連続ドラマ「ゲゲゲの女房」が盛り上がっている。たしか9月いっぱいで完結だよね。今週は水木先生が南方へ出征していた頃の回想、片腕を失ったエピソードから名作「総員玉砕せよ!」が生まれるまでが描かれるみたいなので大盛り上がりだ。
 水木先生が「総員玉砕せよ!」を描いた件については数年前にNHKでは香川照之主演で単発ドラマ化してた(「鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~」)。香川照之演じる水木先生も素敵なのでぜひご覧ください。そしてこのドラマは塩見三省演ずる下士官が本当に良いです。おそらく後年、このような上官が水木先生の悪夢に出てきて先生はうなされたのではないでしょうか。強くデフォルメされていると思いますが、それくらい強烈です。
 話がちょっと逸れてしまった。こんな重たい話をするつもりじゃなくて。
 実家に帰ったついでに神戸に寄り、兵庫県立美術館で開かれている「水木しげる妖怪図鑑」展を見た。ドラマでも話題になっていた、アシさんたちが根詰めて描いた点描画の原画を思う存分見られる貴重な機会ということで。歌川國芳の錦絵とか、水木マンガのネタになった古典も展示してあって素敵でした。そのスーベニアショップで買ったのがこれ。
 
 今年の春に出た文庫版『少年マガジン/オリジナル版 ゲゲゲの鬼太郎(1)』なんだけど、雑誌掲載時の扉やあおりネーム、グラビア企画などが再現されてる素晴らしい本だ。これまで何回鬼太郎の単行本を買ったか覚えてないが、これは新たに買っても損しない、決定版だと思う。全5巻、しかも作品は初出順に並んでいます。GJ!
 ドラマに出てくる水木先生やアシさんたちがひーひー言いながら描いていた原稿が、どんな風に掲載されたか、1週は何ページだったか、どこでアイデアに詰まってどこで急展開させたか、そういったリアルな作家の痕跡が残されてるようで、とても楽しい本です。これを見ると、、従来の綺麗な単行本は漂白済みのように思えてしまいます。また、掲載時の昭和四十年代の空気が伝わってくる広告や懸賞企画も載っている。素晴らしい。ねずみ男が「百万円」と言ったときそれでどれくらいのものが買えるか、当時の子どもたちがどんなものを欲しがっていたか、懸賞の賞品などから類推してみてもいいよね。


■水木マンガの背景に描かれたモノども
 
 これは僕の実家の近所にある薬師堂。石仏の一つが薬師如来なのでこう呼ばれている。
 なんだか、水木マンガに出てきそうでしょ? 水木作品には、石仏とか古塚とか、不思議なフォークロア的な風景(先生が描いてた当時はそんな言葉なかったと思うが)がばんばん入ってて、「なんぴとも触れてはならない決まりなのです」とか、思わずうなずく台詞があった。
  こんなのとか。
 今でもやってるかどうか知らないが、僕が小さい頃、夏だったか近所のおばあさんたちがお堂に集合して念仏する、それを我慢して聞いたら終了後お菓子をもらえる、という日本版ハロウィンみたいなことをやってた。施餓鬼か何かのお接待だと思う。
 後に思春期を迎えた僕は、鬱屈して部屋から飛び出し、かといって行くあてもなく、よくこのお堂にわだかまっていた。ここはちょっとした丘の上にあたり眼下に田圃が広がっている。
 今も帰省するとお堂に腰を下ろして町の灯りを見下ろす(夏は蚊が凄いけど)。時間によると広島空港へと向かう旅客機が頭上を通過する。かなり高度を下げているので翼端灯やシルエットがはっきり見えて迫力だ。子どもの頃は航空機が飛んでるだけで珍しく、みんなで空を見上げたものだが。
 水木作品で、点描をはじめとする凝った技法で描かれる背景は、山陰の山奥の風景だったり、古い神仏・樹木・建築物だったりする。近代的なビルや金属製の航空機に点描が使われることはない(例外的に軍艦だけはけっこう描き込まれていますね。作者の好みかと)。水木先生が力を込めて描いた風物は、この四十年でどんどん失われていった。今やっと気づいたのだが、先生はそういうモノを描くのが好きだったと同時に、描き残さねば消えてしまうと知っておられたのではなかろうか。
 
 しつこくお堂の写真を。見るとわかるように、両脇に飾られているのは造花だ。生花だとこの猛暑で一日ともたないだろうから。石仏のうち左の三体は地蔵菩薩らしく赤い前垂れを着ている。深紅だったろうに、陽に焼けて退色している。祭壇の上の幔幕も赤かったと思うのだが、こちらは真っ白に退色している。
 都会に出て行って帰らない不孝者が偉そうに書く資格はないが、こういうものを地域で守り、維持していくのが大変になっているのだろう。それでもこのお堂は昔の雰囲気を残して立派に建ち続けている。ほら、ここでねずみ男が横になって休んでそうでしょ? いかにも水木先生が描きそうでしょ? 
 僕は故郷から出てって戻らないくらいだから、故郷に対していろいろ屈折した思いがある。だけど、こんなふうな水木先生が描いてきたモノに囲まれて育ってきたことは忘れられないしそれは誇りとするところなのだ。
 水木マンガを読むと、年々「かつてこんな風景が、確かにあった」と強く感じるようになってきた。その度に「ということは、妖怪だって実在したかもしれん」と思うのだ。妖怪、いたら楽しいよね。


■ちょっと憂鬱な史実を発見
 話は講談社漫画文庫『少年マガジン/オリジナル版 ゲゲゲの鬼太郎』に戻る。3巻の解説は荒俣宏氏でとても素敵な原稿なのだが、ちょっと気にかかる記述があった。引用します。

 ちょうどこの頃から経済成長期となり、お金が回るようになって、子供もたくさん本が買える時代になりました。もう、誰が読んだか分からんような貸本だの回し読みだのは、流行らなくなった。毎週でもマンガ本は買えます。おまけに、世の中がテレビを中心にまわりだし、生活サイクルが、お父さんの給料日と同じだった月間から、連続テレビ番組のつづきが始まる週間へと、切り替わっちまう。流行も週間サイクルで動きだしたんです。

 これって、つまりは漫画の隆盛も景気拡大のサイクルに乗ったから起きた現象であって、漫画それ自体の面白さが漫画を栄えさせたんじゃないってことを言ってるんだよね。事実、入魂の原稿、畢生の名作を出してたにも関わらず水木先生も貸本では食えなかったわけで、作品の質がシーンの隆盛を決めるのではなく、外的要因が食えるか食えないかを決めると言ってもよいわけで…。
 つまり、これから人口自体が減ってゆく日本の未来は暗いってこと。この頃から経済縮小期となり、お金が回らなくなり、子どもも大人も小遣いで本を買うなぞできなくなる、図書館も事業仕分けで減ってゆく。世の中はネット中心に回ってる、そんな時代が来るかもしれないってことなのサ。
 などとニヒリスティックになったものの、ちょっと居心地が悪い。僕にはねずみ男のような明るくポジティブなニヒリズムは真似できないんだなァと自己嫌悪なのだった。
 ま、面白いです、『オリジナル版 鬼太郎』。それは作品であると同時に、歴史を目撃する(史料)なのですから。