三浦半島、油壺一泊旅行

 
 僕は西日本で育ったので、こっち(東京近郊)の海のことは何も知らなかった。ちょくちょく海に遊びに行くようになったのは、度付きのマスクとフィンを買った7年くらい前からだ。
 海道具を買って最初に行ったのが、ここ三浦半島・油壺の荒井浜だった。その頃から憧れていた宿が、ホテル京急油壺観潮荘だ。京急グループが経営する、ちょっと古い観光ホテル(いや、いまwebサイト見てみたら五十周年記念とか言ってるから「ちょっと」どころではない老舗だね)。
 いつかここに泊まりたい、と思ってたのだが、今回ついに実行したのでその件を書きます。


■油壺海岸とわたくし
 冒頭のグーグルマップの「+」をクリックして縮尺を上げて挙げて見てほしいのだけど、油壺は三浦半島のどん詰まりからさらに西に向かう小さな半島部分にある。半島突端に「京急油壺マリンパーク」と表示があるが、これは京急が経営する水族館である。遠くからこの半島を見ると、切り立った半島突端部のてっぺんに白くて丸っこい建物が見える。これがマリンパークの大水槽がある建物なのだ。
 駐車場を挟んで手前右にあるのが、今回のホテル京急油壺観潮荘だ。いまや油壺にただ一つの観光ホテルだ(かつて油壺観光ホテルという小さくて趣のある宿があったが昨年取り壊され、現在は更地)。
 このマリンパークと観潮荘を中心に、油壺には3つのビーチがある。
 公営駐車場にある油壺バス停から歩いて、まず右手の斜面を降りると「横堀」海岸。小網代湾に面してて、小さいが居心地の良い浜だ。海の家もあるし。小網代湾にはシーボニア・マリーナというヨットハーバーがあり、夏休みの土日ともなると若者を満載したクルーザーが頻繁に出入りしているのがよく見える。
  小網代湾と横堀海岸
 同じ道を左手へ、鬱蒼とした木立の間を伸びる道へと行くと、油壺湾を見下ろしながらくねくね歩いた挙げ句「荒井浜」海岸に出る。今年は入り口に民宿の大きな看板が出たりして、油壺の3つのビーチでは最も人出も多くメジャーな浜だ。かつては城ヶ島との間を結ぶ観光船も発着していた。海の家が4軒あり、日本の渚百選に選ばれたとか、入り江が西を向いてるので夕陽が綺麗とか、晴れてれば富士山も見えるとか、ともかくデラックスな浜だ。
 前述の通り、僕はここにスノーケリングしに通っていた。残念なことに最近は海藻が繁茂してしまいスノーケリングにはあまり向かないビーチになってしまったが、当時は透明度が高く、魚影も濃くて楽しい海だった。今でもコンディションの良い時もあろうとは思うのだが、最初の印象が強烈すぎて、現実が記憶の中の荒井浜にどうしても追いつかないね。
 最後が、道をどん詰まりまで進んで油壺マリンパークの正面入り口を右折し、駐車場の端から急坂を降りると「胴網」海岸。ここは横堀と同じくらいの規模で、海の家も1軒のみ(さざなみ亭)。ロケーションも横堀と同じく小網代湾を向いているのでヨットやレジャーボートの出入りが多い。
 夏の盛りはそれほど目立たないが、秋口になって一般海水浴客が減ると、ヨットハーバーからジェットスキーがわらわらと湧いてきて、荒井浜などへ上陸して一服していく。ビッグスクーターのようにうるさいステレオを鳴らし、スノーケラーや釣り客への迷惑を顧みない様子から、僕は「暴走族」と呼んでるが、彼らにしてみれば高価なジェットスキーも年に何度かしか稼働させられないのだから、暖かいうちに乗っておこうぜ、というところなのだろう。静かで控えめなシーカヤックの人たちとちょうど正反対だ。
 こういう風俗を見ることのできる油壺海岸が、僕は大好きだ。
 油壺を含む三浦半島周辺にはヨットハーバーがいくつもある。崖の上に誰が所有してるか知らないが大きな屋敷があったり、道中に古いリゾートマンションがあったりと、どこにでもある海岸の町とはちょっと違う風景なのだ。戦後すぐ、高度経済成長が始まる前からこの一帯は東京の富裕層がヨットを繋留するリゾートとして機能してきたからだろう。京浜急行が沿線を開発し、品川から大勢の都民を三浦半島へと運んだのだね。
 今のように頻繁に三浦半島へ遊びに来る前は、僕は2つの印象しか持ってなかった。1つは40年近く前に見たNHKドラマで、フランキー堺が「油壺の何とかさん」と連呼していたこと。題名とか全部忘れたが、フランキー堺主演だからちょっとコミカルな都会風俗のドラマだったに違いない。東京にいる彼から見ると、油壺に住む誰かはちょっと格が上のような印象だったと記憶している。
 もう1つは10年ほど前のことだが英国人ルーシー・ブラックモアさん事件だ。彼女の遺体が遺棄されていたのが逗子市だか三浦市の海岸にある洞窟だったということ。また、事件の容疑者はリゾートマンションを所有する富裕層だったということ。ニュースを聞いた当時は具体的な印象を結ばなかったが、実際に逗子や葉山、油壺にびっしり林立するヨットのマストを見ていると、「これだけ金持ちがいたら一人くらい不埒なことをするやつもいるな」と思ってしまう。そして油壺の海岸を歩くと、軟らかい崖を海水が浸食した海蝕洞がいくつもあるのに気づく。だからなのか三浦半島の浜辺は砂が黒い。昨日とか、灼熱の太陽に焼かれた砂は裸足だと火傷するくらい熱かった。
 荒井浜の近隣には東京大学の研究施設がいくつかあるのも印象深い。東大がいつここに施設を作ったか知らないが、その古びた外観からすると最近ということはないだろう。なぜ油壺なのか。教授陣に油壺になじみのある人がいたんじゃなかろうか。経済界の富裕層に混じって政治家とか作家とか教授が東京から避暑や避寒に訪れた歴史のある場所、油壺、そんな気がするんだね。もし戦前から別荘地だったとしたら、士官クラスの軍人とかも利用してたかもしれない。武山駐屯地や横須賀港も近いし。
 僕はそういう古いリゾートの面影、歴史の蓄積を見ることができるので、油壺界隈が好きなのだ。


ホテル京急油壺観潮荘とわたくし
 油壺の海でスノーケリングした後、帰る前に観潮荘へ寄って風呂を使うのが大好きだった。ここには立ち寄りで利用できる「海洋深層水露天風呂」があって、小網代湾を見下ろしながらジャクジーで身体を温められるのだ。僕のように終末の海水浴日和にだけここを訪れてると「使える立ち寄り湯」以上の印象にならないのだが、今回宿泊してみていろんなことがわかった。非常に面白かったのです。
 ちなみに今回泊まったのは、ネットでふと見てみるとキャンセルが出たのか1部屋だけ空いてたから思い切って来てみました。先週は西日本、今週は近場で泊まりと遊んでばかりいる印象ですが、ほんとはそんなに遊び人じゃないんで。
  観潮荘の正面
 夕食の折、お膳に出ていた観潮荘の箸袋には「政府登録国際観光旅館」と印刷してあった(ちなみに裏面は「油壺音頭」「あゝ新井城」の歌詞。嬉しいね)。最近は「政府登録」なんて仰々しい肩書きはすっかり見かけないけど、この観潮荘が昭和時代のモダンなホテルで、また当時の格式がそこそこ高かったことがわかる。
 フロントやロビーは現在リノベーション中なのでちょっと簡便な印象。去年だか来たときは地下の大浴場は受付も地下にあったし(現在は1Fのホテルフロントで受付)、ホテルにはもう一つ宿泊でない出入り口があって立ち寄り客はそっちを使っていた。土産物屋コーナーがあったはずだが今は休止中(マリンパークのスーベニアショップが使える)、大浴場には回数券があって買おうかどうか悩んだのだがそれも今は廃止。いろいろリノベしててまだ過渡期で大変な感じ。
 今回泊まった部屋は1階の端っこなんだが、不思議なことにフロントから一度階段で2階に上がり、細い廊下をしばらく歩いて再び1階に降りなければならない。この構造は何?と思ったのだが、どうもこっちのウイングは増築したか何かで本館との連絡が悪いようだ。ちなみに部屋付き露天風呂のプランもあるのだが、そういう部屋は本館1階みたいです。ウイングの端っこでフロントや食堂からもっとも遠い部屋だったのでいっぱい歩かされたが、小網代湾と横堀海岸を見下ろす眺めも良く、不便とはいえ面白かったので僕は満足だった。少々不便でもリゾートは海ビューでないとね。駐車場ビューとかは悲しい。
 部屋はかなりランクが低いものらしく、この手の旅館ホテルにつきものの海に面した窓辺の応接セットとかは省略。部屋からいきなり窓でした。プラスチックのバスルームと狭いけどシャワートイレが付属。どっちも何度めかの改修で付け足した感じ。冷蔵庫はかつては有料の飲み物が入ってて、抜くとフロントでカウントされたタイプのもの。今は有料の飲み物は用意してなくて空なので、2階踊り場にある自動販売機で買うか、持ち込んでよいってことなのか。
 内装が僕にはとてもグッと来て、手塚治虫ブラック・ジャック』に出てくるモダンなホテル、って感じなんだな。化粧合板を多用した安上がりでゴージャスな作り、カーペットは多くの客に踏まれ、モダンな照明が経年劣化でくすんで、どれもいい具合に古びていた。昭和時代から何も変わっていない、ドアを開けるとあの頃の空気が流れ出るんじゃないかという錯覚すら感じた。
 食事は夕食・朝食ともに本館2階の大広間で摂る。お膳に座布団、伝統的な旅館の食事が供されるようになってて、ここは三崎が近いのでマグロ料理が売り物、手元で焼くマグロステーキ、マグロと近海魚の刺身、手元で温めるマグロ鍋、エビその他天ぷらが夕食のメニュー。朝食は塩鮭、マグロ中落ち、マグロと生姜の佃煮、大根おろしちりめんなどで、どっちかというと朝食のほうが美味かった。ご飯が美味しくなるおかずばかりでおひつをおかわりして4杯も食べてしまったくらいだ。サーブしてくれたおばさん、ありがとう。
 大広間にはステージがある。団体客の大宴会とかで使ってたのか。コンパニオンとカラオケ、といった遊び方もあったんだろうな。今は緞帳も下りたままで使ってる形跡はない。
 客層は、今は夏休みだから比較的小さな子の多い家族連れが中心だが、初老から上のご夫婦、あるいは男性客ばかりなどのシルバー層も多かった。昨今こういう化石のようなホテル旅館を積極的に利用する若者層はいないと思う。メリットを探すとしたら、大勢で大騒ぎするから、子どもがいてもOKだから、コミコミで価格が魅力だから、あまり考えなくてよくて楽だから、といったところだろう。


■斜陽、だけど楽しくやれるんじゃ?
 今回、ホテル京急油壺観潮荘をwebサイトで予約して知ったのだが、なんとこのホテルは開業50周年なんだそうだ。全部が全部、半世紀前の設備じゃないと思うが、そりゃ古いわけだ。
 正直、今回泊まって思ったのは、「一部を簡略化したり廃止したものが多くて、フルスペックのサービスじゃないな」ということだった。土産物屋の廃止、大浴場受付や回数券の変更などがそうだ。また、小さなことだけど部屋の冷蔵庫に有料ドリンクがないことも。
 有料ドリンクは飲まないのでもともと不要だし、大浴場は受付を廃止した代わりにロッカーを新しくしたり、平日は京急の駅から無料シャトルバスを出したりして、サービスの向上を図っている。この歴史あるホテルも不況と闘いながら生き残りをはかっているのだ。
 すぐ近所にあった「油壺観光ホテル」は先年閉館し昨年取り壊された。こちらはどこかの企業グループに属していたとかではなかったらしいので後継者難だったのかもしれないが、ホテルを使って油壺に泊まりがけで遊びに来る客もそう多くはいなくなったということだろう。ちなみに観光ホテルの在りし日の姿は、遠景をグーグル・ストリートビューで、上から見たとこはグーグルマップの航空写真で見ることができる。
 サービスはソフト面でもいろいろリノベ中らしく、食事時の大広間はスタッフがやや足りないのか注文がスタックしていることがあった。大浴場は朝9時(チェックアウト1時間前)まで使えるのだが7時台に入ったら清掃の真っ最中だった。いずれもちょっとした齟齬だが、かつて景気が良かった頃はこういうことはなかったんじゃないか?
 いま日本は国中がリノベの真っ最中だ。企業のリストラもそうだし、テレビ・ラジオでは広告収入の減少をカバーすべく通販番組など独自マネタイズ企画が目立つ。雑誌では取材費が出ないのか、ネット記事の引き写しが目立つ。さらにテレビやラジオが雑誌の記事をただ読み上げて感想を述べるだけなんてコーナーを作るものだから、情報が出口なく環流してる印象だ。
 今日、同じ大広間で朝食を摂ったよそのご家庭の子どもさんたちだが、彼らは将来、油壺で過ごした夏休みをどう思い出すのだろうか。なんだか建物は古くて、お父さんお母さんは疲れてて、サービスはどれもセコかった、なんてことになるのだろうか。
 いや、そうじゃない、きっと楽しかった記憶になるだろう、と思う。食事はそう豪華じゃないし注文も遅れ気味だったけど、サーブしてくれるおばさんたちは優しく気が利いていた。建物は古いけど歴史があるわけで、昭和歌謡の匂いのするホテルはもうちょっとしたらぐるっと一周してオシャレになるかもしれない。親たちは疲れてたかもしれないけど、この時代に小さい子を持つ親はみんな疲れてる。とくに今年は猛暑だし、土曜に来て海で遊び、一泊した日曜も帰るまで海で遊ぶんだろうから、そりゃ疲れるさ。
 横堀海岸から小網代湾を出入りするクルーザーを見ててもそう思った。若者を満載し、船内で飲み会をやってる船が目立つ。だが、せっかく船なんだからもっと遠くへ行けば、せめて東京湾側に行けば広々と大海原が楽しめるんじゃないかと思うのだが、どうもみなさん小網代湾からなかなか出て行かない。そう、どうせ飲むだけだからマリーナの近くの海面でいいわけで、さらに夕暮れが近いからもう遠くに行きたくない。浜辺で海水浴してる(僕のような)貧乏人を見ながら飲むほうが楽しいじゃないか、というのかどうか知らないが、船のくせに動かない、ヨットのくせに帆走しないのばかり。
 いや、それでいいんだと思う。
 フルスペックの遊び、フルスペックのサービスは時代にそぐわない。
 それを強く思ったのは、ホテルの隣の京急油壺マリンパークを訪れたときだ。実は観潮荘に泊まるとマリンパークに入園できるのである(正規入園料は1700円!)。
 
 iPhoneで撮ったのでぶれぶれだけど、これはマリンパークのイルカ・アシカショー。なんとプールは屋内にあるので年中快適に見られる。
 マリンパークは観潮荘に劣らず古い施設だ。飼育してるチョウザメが40歳近いというのでもしやと思ったが、Wikipediaによると1968年開業とか。42年じゃないか。きっと開業当初の観潮荘とマリンパークは地域最強のエンタテインメントだったに違いない。
 いまマリンパークを見ると、近頃流行の水族館と違って大きな水槽はなく、最大のものが2階の円形回遊水槽で、そこに展示されてる大物といえばメジロザメ、ノコギリエイなどなど。ジンベエザメやマンタを巨大水槽に泳がしたり、オキゴンドウなどクジラをラインナップしたりといった派手な展示が主流の最新水族館からすると地味で、施設も古いのは否めない。だけど何か捨てがたい魅力があるんだよね。
 今年オープンした屋外施設「かわうその森」は、去年まで海洋深層水の施設があり深海生物の展示をしていた場所が空いたとこに新設されたという。いいと思う。大規模設備で見せる虚仮威しじゃない、手作りでアットホームな水族館があってもいいじゃない。僕はマリンパークのちゃっちいところが好きだ。3頭のイルカと2頭のアシカが見せてくれるショーは、意外と凝った筋立てで面白かったし。
 この2つの施設は、長い長い撤退戦を戦っているんだと思う。それは実は日本経済全体もそうで、僕が働いてた出版業界もそうだし、電波マスコミも、新聞も、衰亡していく過程にある。人口が増えない日本の経済は、もう全体に浮上する可能性などないのかもしれない。有望なのは老人産業・病人産業・葬式産業だけかもしれない。
 でも、少ないながらも新しい生命は誕生するし、ホテル旅館で夏の思い出を作る子どもはいる。水族館には若いスタッフがいて、ショーのイルカたちも時が来たら引退して、若手に新陳代謝しないといけない。
 ちょっとうまくまとめられないのだけど、今、この局面で、できることを。なるたけ楽しくやる。それが素敵だと思った。