忠臣蔵と新選組

 帝都の西方に盤踞するたぬきちです。今日も暑い日ですが、こころなしか乾いた風が南から吹き抜けるので部屋にいても過ごしやすいですね。
 先週は本が書店さんに搬入されるのに合わせて臨店などしてみましたが、今週は2件のトークイベントがあるので英気を養うというかサボっています。寝転がって本なんか読んだりして。


 何度も書いてるが野口武彦先生の歴史ばなしの本は面白い。先生の本を「歴史の本」と呼ぶのはちょっと違う気がして「歴史ばなし」と形容してしまうが、正しくは「歴史小説」なんだろうね。ここらへん突っ込み始めると「歴史其儘と歴史離れ」とかいう難題が出てくるのであまり藪をつつかないようにするけど、野口先生の書かれるものが面白いのは間違いない。新潮新書『幕末バトル・ロワイヤル』の最新刊が待たれるしだいに候。大河ドラマ薩長密約という山場にさしかかってきたことだし、野口作品を手に取るにはぴったりの夏なり。


 で、先日読んだのはちょっと趣の違う2冊。まず『新選組の遠景』(集英社 2004)と、次に『忠臣蔵——赤穂事件・史実の肉声』(ちくま新書 1994)。前者はNHK大河ドラマ新選組!」の放映に併せて夏に刊行されたように見える。こんな面白い本が出てたんだね。己の不勉強を残念に思う。後者の刊行年に忠臣蔵大河ドラマだったか…というとそうではなかった(当年が「花の乱」、翌年が「八代将軍吉宗」。どっちも関係ないね)。だがこの『忠臣蔵』はコンパクトにして野口歴史小説の神髄を凝縮したような、面白くてかつ良い本なのだった。ということで、時代の時系列に沿って「忠臣蔵」「新選組」の順に感想をメモしておきたい。


■『忠臣蔵—赤穂事件・史実の肉声 』では、「事件は当初から文学化されて世間にひろまった。その文学性のオーラを取り払ったら、そこに何が見えてくるか。史実は時として文学よりも深い光を放つ」(カバー見返しより)というスタンスで赤穂事件の顛末を史料に基づいて追っていく。頻繁に史料をひもとく歴史小説、という形式なのだが、これが一種の探索もののようにドキドキしながら読めるのだ。
 ドキドキの根源は何かというと、他の野口作品に共通しているのだけど、それはつまり先の引用文で野口先生ご自身が述べていること、「文学性のオーラを取り払ったら、何が見えてくるか」の「何」が凄いのだ。
 文学性というのは巷説とか伝説と言ってもいい。僕ら読者・歴史ファン・芝居の客にとって口当たりのよいこと、見たいこと、こうあってほしいと望むことだ。実際に起きた「赤穂事件」は後に浄瑠璃や芝居の「忠臣蔵」となり、上演されるたびに僕らの意識に強く刷り込まれる。山鹿流陣太鼓の響きとか、「殿中でござる」とか「各々がた!」といった耳に馴染んだ記号をつい連想してしまう。それらを味わいたいと思ってしまう。
 しかし実際に起きた事件には創作を超えるディテールがあり、ちょっと面倒でも野口先生が水先案内してくれる文献とかを辛抱して読んでいくと、創作よりももっと凄みのあることどもが立ち上がってくるのだ。それが「史実の肉声」なんだろうし、そこが野口先生の作品を読む最大の楽しみだ。
 本書のドラマティックな山場は、僕には二つあった。一つは、赤穂城明け渡しから討ち入り決行までの大石内蔵助の奮闘。赤穂藩が発行していた藩札を6掛けで清算した件(これは大野九郎兵衛の仕事が大きいが)とか、城内の異見をまとめ無血開城へと導くさまは、プチ勝海舟と呼びたくなる、英雄的な能吏っぷりだ。一家離散してからは江戸を拠点とした堀部安兵衛ら強行武闘派との駆け引きがすごい。ここらへんを読んでると飯干晃一『仁義なき戦い』を思い出した。目的は「吉良の首を取る」でまとまっているのに、考え方や背景が違うだけでこんなに路線が異なってしまう。それを大石は辛抱強くなだめ、まとめ、さらに吉良方の探索を目くらまししつつ、完全にコントロールを手中にしてゆく。
 もう一つのドラマは討ち入り、戦闘のディテールだ。野口先生は文献を戦術的・軍事的な説得力をキープしつつ読み解くので僕は大好きだ。吉良邸の見取り図と、表門・裏門への配置人員表が臨場感を誘う。人員表には年齢と手にした武器も記されている。ここが野口流だ。そして実際の戦闘、これは「パーフェクト・ゲーム」と形容されるが、完全試合にもっていくためにどんだけ工夫したかもちゃんと書かれている。これは戦闘オタにはこたえられませんよ。
 ちなみに当夜の戦闘を吉良側から描写した杉浦日向子「吉良供養」という傑作のマンガもあるので、未読の方はぜひご一読を(ちくま文庫『ゑひもせす』所収)。女性の手になる作品なのにこれも戦闘描写が良いです。初めて読んだ二十数年前、時代考証というのはここまで考えるのか、と圧倒されました。
 忠臣蔵についてはドラマとかで知ってただけなので時間感覚がなかったんだけど、これって内匠頭の乱心から討ち入り成功〜浪士たちの切腹までは2年弱しかないのね。長いと見るか短いと見るか、僕には途方もなく短く感じられる。その間に大石たちがやってのけた仕事ってどんだけたくさんあるだろう。
 そしてもう一つ、赤穂の浅野家中の武士たちは300名ちょっとだったという。その中で討ち入りに参加したのが47(46)名。この数字、僕がこないだまでいた会社の社員数と、希望退職した社員数にわりと近い。そういう規模の話なのか、とちょっとピンと来た。さらに退職金というか旧家臣団への立ち退き料というのが出たらしいのだが、大石内蔵助はこれを「上に薄く、下に厚い」配分にしたんだと。いわく、「五百石以上、百石につき十両ずつ。五百石以下、百石につき十八両ずつ」。このへんも、ちょっと似てると思いました。
 ほかにも「回向院から泉岳寺までの道のりが遠かった」「泉岳寺で粥を振る舞われた浪士たちは、若い衆はともかくぐうぐう眠った」などと、読む者の生理に訴える記述が素晴らしい。徹夜の緊張が解けた瞬間とか、槍に刺した首の重さがなんとなく想像できるではないか。後生付加されたいろんな飾り、厚化粧をはぎ取った「赤穂事件」は、荒々しくもソリッドなハードボイルドなのだった。


■もう一冊の『新選組の遠景』。これは読んでて号泣こそしなかったが感涙がにじみました。なにしろ今もっとも旬な幕末、そこで一瞬の栄光をつかんだのに転落してゆく若者たちの話ですから。誰からも手放しで讃えられる龍馬と違って、敗者・逆賊・洗練されてない人たち、ですからね。どこをとっても涙を誘う。
 本書は清河八郎プロデュースの浪士隊縁起を枕(一章)に、二章でいきなり池田屋事件を取り上げる。トップヘビーで良い。この池田屋事件が後生いろいろ脚色されて僕たちはそれら創作で知ったディテールを無意識に欲してしまうのだが、野口先生は容赦なくドライに、事実はどうだったかを淡々と提示してゆく。事実の持つ重量感、武骨さ、不寛容さ、滑稽さ。派手な立ち回りや階段落ちは不要だ。新選組のスパイが池田屋を探り当てた、といったサイドストーリーも不要。それよりも事実は、近藤勇率いる少人数の索敵チームが偶発的に志士(テロリスト)たちと遭遇した、双方がお互いを誰だか判別できず、新選組は自分たちが闘っている相手、いま斬り殺した相手がどんな大物志士なのかすら知らなかった、という甚だしく乱暴なものだったという。これってイラク戦争の市街戦とまったく同じじゃん。
 しびれる描写がある。戦闘終了後の現場は「切り落とされた腕や足が散乱し、毛髪のついた鬢が切りそがれて落ち散っ」た惨状を呈したという。これはつまり、「新選組は大時代な立ち回りはやらない。効率的に横面や小手を狙って斬り込んだ」。とっさにヤングマガジン連載中の格闘マンガ「喧嘩商売」木多康昭)を連想しました。
 本書は戦術単位・戦闘集団である新選組を容赦なく描く。そうだ、それが読みたいのだ。郷士たちの幕末ドリームであるとか、同志愛であるとか、悲劇性であるとか、そういうお化粧を施した新選組ではなく、彼らが何をやっていたか、彼らが闘ったスコアはどうだったか、それから浮かび上がる彼らの人間像を読みたいのだ。
 途中、「沖田総司伝説」なるちょっと中だるみした章を過ぎると本書はテンションをどんどん上げていく。五章「七条油小路の血闘」は分派である高台寺党を粛清した顛末。伊東甲子太郎を殺した直後の描写。「大石らが恐る恐る近づいてきて左足を切る。生体反応を見るのである。死んでいた」。「たっぷり血を吸った仙台平の袴が寒さで板のように凍っていた」。どうです、このハードボイルド。もちろん本書はこんな流血描写ばかりではなくて、書状を解読したり文献を検討したりして誰がどんな話をしたかとか“歴史っぽい”群像劇も見せてくれるのですが、肝心な「新選組は戦闘集団である」という史実をおろそかにしないのである。戦闘の結果どんなことが起きるか、起きたか、ちゃんと書くのである。
 本書の白眉は六章「千両松の戦い」と七章「北辺に散る」である。千両松とは、鳥羽・伏見の戦いのこと。ここから甲陽鎮撫隊の一件を経て近藤勇の斬首までが描かれる。北辺とは、函館(箱館)のこと。北関東〜東北〜蝦夷地と転戦した土方歳三が描かれる。いずれも手に汗握る政治的駆け引き、迫真の戦闘シーンと読み応えたっぷりだ。そしてここから一気呵成の終末に向かうにつれ、押しとどめようのない歴史の重々しい回転を感じ、涙を禁じ得ないのだ。


赤穂浪士は勝利し、新選組は敗北した。この違いは何か、つい考えてしまった。勝利も敗戦も彼ら自身の資質や準備に負うというより、歴史の回転面にうまく合致できたか否かが結果となったとしか思えない。
 思うに、赤穂浪士が闘ったゲームは、ルールが不変だった。大名家や武士階級に対する法度があり、それはゲームの間中変わらなかった。また、吉良邸への討ち入りは暴挙ではあったが、当時の社会にはそれを「義挙」と鼓吹する道徳・価値意識があった。浪士たちはこれらルールや価値意識を明確に意識し、そこから逸脱しないように注意深く戦ったのである。
 泉岳寺、亡君の墓前に仇の首級を奉じた後、浪士たちは大目付宅に移送され尋問を受けた。このやりとりを見ると、浪士たちが注意深く戦ったことがよくわかる。大目付は「討ち入りは何時だったか。それは夜討ちだったか。提灯・松明(火)を持参したか」と質問する。大石は「御城下火の元の厳しい取り締まりは重々承知」と、火を用いなかったことを弁明している。さらに大目付は「咎もない人間を多数殺傷し弓矢など飛び道具を使用したのは不届きではないか」と追い詰める。大石は「主君を守って防戦するのは武門のならい。妨害者を討つのは当方理の当然。お上をないがしろにしたわけではないのは甲冑を着けず鉄砲も使わなかったことからもわかるでしょう」と“自分たちはフェアに戦った”と食い下がるのである。さらに、火の元に注意を払っていた証拠に、「戦闘終了後邸内の火の元を再確認し、火には水をかけ、邸内で吉良家の用人に出させて使った蝋燭も一カ所に集めて数を数えて水をかけた」とダメを押す。完璧である。
 大石が完璧にゲームを遂行しようとしたことは、赤穂城無血開城のときから一貫している。ご公儀に対して失点すると吉良への復讐という目的に支障が生ずる。何としても失点は避けねばならない。藩札はじめ藩財政の清算も、家臣団の解散も、ひそかに浪士団を組織しての討ち入りも、その後の取り調べへの応じ方も、すべてルールを守っているのである。浪士たちは吉良邸内での局地戦を完封で遂行しただけでなく、既存のルールを厳しく守ることによって幕府に対しても「何か問題でも?」ととぼけて見せることができるくらい、パーフェクトゲームを演じたのだ。この完璧さに、尋問する側の大目付ですら大石たちに感情移入してしまう。
 対する吉良側、というか吉良のバックである米沢上杉家にも反攻の機会はあった。吉良邸が襲われたと報せを受けた瞬間に即応部隊を派遣して延長戦というか雪辱戦を展開する手があった。だが、最初から勝負はついているのである。浪士たちは、最終的に自分たちは「重々不届き」として切腹させられる、と覚悟していた。自分の命という最強のチップをゲームに張っていたのである。上杉家および吉良家にはこの覚悟がなかった。ベットする段階ですでに勝負の大勢は決まっていたといえる。だから浪士たちがまだ吉良邸付近にいたはずなのに即応部隊を派遣することもできず、それどころか「手も足も出なかったのは武門として不行き届き」として懲罰的な裁定に甘んじ、上杉家から入った養子の吉良左兵衛をむざむざ幽閉させ客死させてしまうのだ。
 浪士たちは、自分たちを取り巻く状況と、亡君の復仇という自分たちの最終的な目標を、狭義のゲームとして定義し直した。大石内蔵助は終始、ゲームの主導権を握っていたのだ。


■対する新選組が戦ったゲームとはどういうものだったか。彼らの最終的な目標とは何か。これがよくわからない。武州多摩を出立して清河八郎にプロデュースされ京に向かったときは「郷士身分からの脱出、立身出世」が目標だったかもしれない。池田屋での戦闘を制した後は「幕府正規軍への昇格、京におけるプレゼンスの拡大、栄達」が目標だったか。
 いずれも短期的な視野での目標であり、途中経過でありゴールではない。ゲームとして成立しにくい目標だ。赤穂浪士が「勝っても負けてもデッドエンド」と決めていたのと正反対だ。
 そして新選組赤穂浪士ともっとも違っていたのは、新選組がやっていたゲームはルールがどんどん変わっていったのである。これが最大の敗因だったといえよう。
 大局的に見ると、幕府政権の一翼である会津藩の末席に潜り込めたのはまず良かった。だが幕末で政局がおそろしく不安定なとき、ある勢力にきっちり組み込まれたのは新選組にとって良かったかどうか。
 そして彼らは初期の段階で池田屋事件という大殊勲をあげてしまう。これは彼らの後の選択肢を大きく削いだ。長州の志士たちを虐殺したというこれも完全試合なのだが、完全試合ゆえに長州側の遺恨はすごい。他の幕府勢力と違って新選組には「恭順する」という選択肢がなくなってしまったのだ。投降すると絶対に殺されるのだ。これは赤穂浪士が自分たちの命をチップとしてゲームに張ったのとは意味が違う。できれば生きながらえたいのに、その選択肢のみが狭められているのだ。苦しいゲームだ。
 戦術単位としての新選組を見ても、ゲームのルールが加速度的に激変していったことがわかる。京の市中取締の任では、長刀を用い集団で個を包囲して斬りつける戦術は無類の強さを誇ったという。彼らが試衛館で積んだ修練、前述のように池田屋でも遺憾なくその結果が発揮されている。
 だがゲームは変化する。池田屋の次段階、長州が軍勢を編成して特攻っぽい禁門の変を仕掛ける。屋内での超接近戦ではなく、火器が主役の市街戦だ。残念なことに新選組勢はこの主戦場に参戦していない。主戦場から離れたエリアで残敵掃討任務に当たってた、という理解でいいのか。とにかくちゃんと戦闘し実力を発揮する機会がなかったのだ。
 もし彼らが主戦場にいたら。長刀の間合いをはるかに越える火器での戦闘に、剣士たちは「これはいかん」と自覚できたんじゃないか、と思う。薩摩も長州も外国軍と戦って負け、イノベーションの必要を自覚した。結果論になってしまうけど、新選組は前半での連戦連勝のせいで後半、圧倒的な敗北を喫したのではないか、と。
 浅学で知らなかったんだけど、七条油小路で伊東甲子太郎が惨殺された数日前に坂本龍馬が何者かに殺されている。油小路の激戦を高台寺党の何人かが脱し、薩摩藩邸に逃げ込んだ。そこに土佐藩から龍馬暗殺犯特捜隊がやってくる。近江屋の遺留品である刀の鞘を見せられた高台寺残党は「これは原田左之助の刀」と証言してしまう。新選組池田屋で長州の恨みを買い、今度は土佐の恨みも買ってしまったのだ。これは冤罪で真犯人は京都見廻組なんだってね。運がないね新選組。こうして土佐に投降することもできなくなった、と。土佐藩特捜隊は谷干城(たてき)、後の官軍中部方面軍(?)指揮官で、勝沼の戦いで近藤勇を撃破することになる。
 新選組の経過を非常におおざっぱに見ると、局地戦で勝利したことが大局的に不利に働く、この繰り返しに見える。テロリストを殺して京の治安を維持しても、飲み屋や遊郭での払いが悪いので長州浪士と比べるとまったく人気が出ない(笑)。大殊勲を上げれば未来の選択肢が狭まる。内ゲバに勝利したことも回り回って他藩の恨みを買う。この負のスパイラル、企業とかでもよく見かけるよね。
 新選組にとっての決定的な敗戦が、鳥羽・伏見の戦いにおける淀堤・千両松の戦いである。本書はここから『ブラックホーク・ダウン』もかくや、という戦闘ルポルタージュになります。すごいです。
 左右を河と沼に囲まれた長い長い土手道の攻防、遮蔽物は街路樹のみ、遠距離で目視されると長州軍から銃弾が飛んでくる。先込め銃だが一個小隊が斉射したら次の小隊に機敏にスイッチするので弾幕が途絶えない。会津兵・新選組お得意の白兵戦に持ち込もうにもまったく近づけない。決死隊を道ばたの葦の茂みに伏せ、進撃してきた官軍に横から抜刀攻撃をかける。「いったん白兵戦に持ち込めたら、会兵と新選組はめちゃめちゃ強かった」。涙をそそる記述である。つまり、中遠距離戦では矢ぶすま、弾の的にされたのだ。それでも自分が得意な距離へ、と肉薄する。当然白兵戦からの生還は期せない。ごくごく小規模な勝利のために大勢の手練れが死んでいく。戦場のルールが完全に書き換えられているのに、対応できなかった悲劇。
 江戸に撤退した新選組甲陽鎮撫隊として山梨へ出陣する。この模様は昔々中学生のころ筒井康隆の短編「わが名はイサミ」で読んでたのだけど、この小説が実はけっこう史実に近かったというのは驚きだった。甲府へ行く途中、故郷の多摩をゆっくり進軍してあちこちで酒をよばれていた、という…。筒井おそるべし。ていうか近藤勇、人間的すぎ。
 さて本書は近藤・沖田の退場を受け、その後の土方歳三を描く最終章「北辺に散る」へと至る。この章はもう圧巻で、文芸における土方像を決定した司馬遼太郎作品について論じつつ、『BHD』ばりにハードな戊辰戦争の経過がつづられる。そしておそるべきことに、土方は転戦を重ねるうちに一介の剣客から近代軍の指揮官へと脱皮してゆくのだ。この一章は本当に凄い戦記であり評伝なので、ぜひ直に『新選組の遠景』を当たってほしい。
 土方歳三は最終的に幕府残存勢力の陸戦隊総指揮官にまでのぼりつめる。のぼったというか、兵力の縮小・人材の減少もあるが、彼自身の実力が転戦のうちに大きく成長を遂げたのだ。それでも勝てなかったという史実が非情だ。ルールは次々と更新され、懸命にフォローし、ルールの変更を上回る速度で成長したとしても前半で蓄積した不利は覆せなかった、勝利はなかったのである。これは「美学に殉じた」とか「もっと大切な何かに賭けた」といった文芸的な価値観でも埋めようのない非情な事実だ。


■会社を辞めてこの方、ろくに一生懸命ものを考えてこなかったのだけど、この二冊は本当に刺激的だった。
 出版業界も、ゲームを戦っている。目標は生き残りなのか、脱皮なのか、儲けて勝ち逃げすることなのか、プレイヤーによっていろいろだろうが、もはや忠臣蔵的な静的なルールのうちに勝利を追求するというプレイスタイルは取れないことがはっきりしている。時代は間違いなく幕末だ。ルールは日々更新され、プレイヤーは日々ふるいに掛けられている。いま勝利している人たちが明日も勝利するか、まったくわからない。むしろそれは新選組的な「勝利が未来の選択肢を少なくする」悲劇をもたらす可能性すらある。
 歴史を読むとき、現実の安易なメタファとして読むのは歴史に失礼かもしれないし、歴史のダイナミックな本質から目をそらす邪道かもしれない。けど、あまりにも歴史が面白いので、僕なんかはメタファごっこを止められない。今年のトレンドwからすると自分を龍馬に喩える、龍馬になりたい人が多いのだろうけど、もしかして自分は近藤勇かもしれないとか、近藤長次郎かもしれないとか、いろいろ思考実験してみるのは楽しいんじゃないだろうか。経営者のみなさんも、龍馬や高杉に入れ込んでたら実は徳川慶喜孝明天皇みたいな役回りを演じてしまいました、とならないようにしてもらいたいよね、と思います。なんてね。