短信……インセンティブの罠

■日々、老眼が進んでいる。去年の今頃近くを見るのがこんなに辛かった記憶はまったくないので、今年になって老眼になってるんだなと実感する。会社にいた頃、諸先輩方がゲラや新聞を見るとき眼鏡をとったり腕を伸ばしたり天眼鏡を使ったりしていたのを半ばバカにしながら眺めていたのだが、それがいかに愚かであったか思い知っているところだ。老眼を避ける術はない。諸先輩方、ごめん。祟りですかね、俺の老眼が年の割に早いのは。
 老眼になると細かな文字を読むのがかったるくなる。オタク的な書籍の細かな細かな注釈とか、もう読むのを諦めることが多い。街中でも、歩いてて突然店先のメニューを覗き込むとかすると、眼球が小さい文字モードに変われないので細かな品目とかキャプションなんて全然読めない。その店で食うのは諦めることになる。こうして中高年の消費が冷え込み、偏っていくのだな。
 老眼の進展が日々著しいので遠近両用眼鏡をあつらえ直すこともできない。夏前に新しくしたやつがもう合わなくなってるくらいだ。老眼になると近くが見えないので、近くを見ることが不愉快になる。初老期鬱の原因の一つだろうし、老人が不愉快そうなのも老眼など入力センサーの不調、あるいは出力である運動機能の不調に由来するのだろうなと思う。ああ、俺ってもう老後か。退職してるわけだしなあ。


■退職して日々是好日悠々自適な毎日を送ってるわけじゃなくて、一応求職活動をしている。ハローワークに登録し、雇用保険の失業給付をもらい、前の会社がセットしてくれたアウトプレースメント会社の再就職カウンセリングに通っている。通っている…のだが、これが実態としては月に2回求職活動の実績を作って失業給付の条件をクリアするために通ってる、という自家撞着状態になっている。つまり、失業状態を続けるために求職活動をしているのである。
 なぜこんな本末転倒なことになるかというとそれは明らかで、失業給付という制度が求職者の「就職しなきゃ」というインセンティブと逆の方向に働いているからだ。

雇用保険加入者が失業状態になれば失業(基本手当)給付が行われる。これ自体に異論はないだろう。問題は、給付の中身が失業者の再就職インセンティブを低下させてしまう場合である。給付内容がよいために再就職のインセンティブが削がれ再就職行動が鈍化すれば、本来もっと早く再就職できたはずの人を長く失業状態に留めてしまう。

↑[PDF]『雇用保険制度が長期失業の誘引となっている可能性』(小原美紀)
 同じようなことを言ってる人は大勢いて、リバタリアンの人によるブログでも「雇用保険制度は失業率を底上げしている」と↓。

 生命保険は死なないと出ない。医療保険は病まないと出ない。だが雇用保険は簡単に出る。だから軽い気持ちでモラルハザードに陥りやすい。本人も失業保険をごまかすくらい犯罪とも思いにくいだろう(生命保険や医療保険と違って)。(中略)
 雇用保険制度は、転職しないで働く人が損で、転職する人に得な仕組みだ。言い換えると、転職する人が、しない人から、金を収奪する仕組みだ。「保険」という耳障りの言い言葉でごまかしているが。正直者が馬鹿を見る仕組みだ。

 これまさに僕が今陥ってる状況なんだが、これがモラルハザードだとは気づかなかったよ。すまん。しかし、なるべく経済合理的に行動しようとすると、失業給付の制度設計って「なるべく働くなよー」という信号をばんばん送ってきてることに気づくんだよね。
 たとえば失業給付は、給付期間中に働いて給与をもらうようになると打ち切られる。僕が受け取っている給付額は7,505円/日と高額なので、少なくとも給付期間中に就職するとしたらこれより高い給与の仕事でないと損!ってことになる。そういう仕事はなかなかない。というか、失業しててこの額を得られるのに、一生懸命働いてこの額を得るほうを選択する人っているんですか。
 じつは早く再就職したら支給残日数に応じて再就職手当とか就業手当をもらえる、という制度もあるのだが、これがあまり魅力的なインセンティブに見えないので効果を発揮しているとは言い難いだろう。
 さらに失業給付は毎月受給資格を申告して認定してもらうわけだが、その際「アルバイトしませんでしたね」とか「働いて収入が発生したら申告してくださいよ」と厳しく言われる。僕はポット出版さんのUstに出たギャラとか対談のギャラとか細かく申告している。申告した日の分は不支給になる。これを申告しなかったら完全なモラルハザードというか犯罪だろうけど、求職に消極的なまま失業給付を受給し続けることまでモラルハザードと言われるとは知らんかった。制度の枠内だから問題ないと思っていたのだが。
 たぶん、失業給付を受けつつぼーっと過ごしている僕のような者を、現役で働いている人が見ると、「俺らのカネにたかりやがって」と思うのかな。うーん、でも俺も現役のときは雇用保険を会社に払ってもらってたんだぜ。君らもそうだろう。今は俺がもらう番てだけだろう。
 失業給付の制度設計が奇妙なのは、「自営業を始めるときも申告しろ」とか「インターンや研修でも申告しろ」とやけに細かくうるさいことだ。小姑かってーの。こういう縛りが働こうとする意欲をじわりじわりと削いでるんじゃないか。転職がままならないから起業する、なんて人の意欲も削ぐわけで。この制度下でもっとも経済合理的な行動は、“給付してもらえる間は認定条件を満たす求職活動のみ行う”となる。それ以上、たとえば試しにバイトしてみるとか、起業を目指してみるとかすると、給付が止まるかもしれないもの。それはイヤだよね?
 というのが雇用保険失業給付におけるインセンティブのジレンマ、という話です。僕もこの罠にはまり込んでる真っ最中です。
 これ明らかに制度設計が間違っています。どなたか優れた社会学者か経済学者にシステムデザインし直してもらいたいですね。また現状、認定資格を審査するのに膨大な人手を要しています。ベーシック・インカムにしてしまえば審査する必要がないので良いんじゃないかなと思うんですが。BIなら就職が決まって給付が打ち切られることもないしね。


インセンティブの問題は想像以上に大きくて、道徳的・世間の目的なインセンティブというのもあるにはあるが、金銭的なインセンティブを凌駕するものってなかなかないわけで。そして人は意志やプライドだけではインセンティブに抗って確固たる行動をとることが難しい。この金銭的なインセンティブというのを見えにくくしたうえで一所懸命働けよと社員に発破かけてるのが古いタイプの企業の特徴なのかもな、と思ったりする。


■しかし人には反対に“バカやっちゃう”に代表される、合理的でない行動というのがある。ある一瞬、インセンティブの重力から自由になれる瞬間がある。なかなかないけど、稀だけど、たしかに存在する。


■ああ、今夜は鍋だから大根と白菜の芯を先に煮なければ。味付けは……いいのを思いつかないからキムチにしよう。今年は「白みそ仕立てのチーズ鍋」がトレンドなのか? なんだかすごいカロリー高そうなんだけど。