雑感。貧しくなりゆく世界で

■所用で銀座に行った。八丁目から一丁目に向けてカンカン照りの銀座通りを歩くと、猛暑のなか営業して歩いたことを思い出す。
 たった一年とか二年前なのに、銀座の風景はもう変わっている。中国人観光客が今日はあまりいない。もしかして人気なくなったのかな? いや少人数のグループはいるな。高級車が路駐してるのも相変わらずだ。アストンマーチン(DBS?)とジャガーXFが並んで路駐してるなんて銀座らしくていいじゃないか。でもそこの店がH&M、GAP、ZARAっていうのが世相だなァ。ユニクロも銀座中の店と比べても流行ってるし。しまむらが銀座に出店する日が来るかな?


■買い物するときは郊外へ向かうようになった。いま住んでるとこは前のように都心じゃないので、ターミナル駅へ出るよりも郊外の量販店のほうが近いから。国道を下るとヤマダ電機とかがいっぱいあるんだよね。
 でもヤマダは、在庫がたくさんあるのに種類が少ない。ヘッドホンが欲しいとしたら、色は選び放題だけど、たとえば「右と左のコードの長さが等しくて、比較的長いの」とかって選ぼうとすると皆無だったりする。メーカーが違っても形や機能は一番売れる同じ型ばかりで、選べるのは色や模様だけなのだ。どこのメーカーも一番売れる型しか作らないし、店も一番売れる型しか仕入れないのだ。これじゃこんだけ売り場面積があっても、事実上一種類しか商品がないってことでは?
 郊外店だからそうなのかと思って、日本総本店を名乗る池袋の三越跡に行ってみた。やはりここも、売れ筋しかない。こんだけ広いんだから少量でも多品種を置けばいいのにと思うが、素人考えなんだろうな。ライバルのビックカメラはいまだ多品種の品揃えでがんばってるみたいだけど、それでもやっぱりちょっと変わった商品は少なくなった。
 量販店に求められてるのは安さだけなんだろうか。選ぶ楽しみはもうないのか。たしかにヤマダとかはポイント含めれば劇的な値引きを敢行してて、価格コムより安いから事実上日本で一番安いんだろうけど…。


■別の日は高島屋に行った。さすが日本一の百貨店。量販店とはまったく違って店内の雰囲気は優雅だし、これはつまりこの雰囲気も商品の一部であり、商品の価格に転嫁されてるわけだよね。百貨店で割高な商品を買ってくれる富裕層がいるおかげで、僕みたいに何も買わない人も好い雰囲気に浸れてうれしいです。日本が階級社会だった頃の名残なんだねえ。
 て、なぜ今更僕がそんなこと言うかというと、同じ商品でも富裕層と庶民層は違う値段で買ってたってことを思い出したからなんだ。富裕層は百貨店の外商で買う。庶民は商店や市場(いちば)で買う。同じ商品であっても市場(しじょう)が違えば価格は違っててもよかった。一物一価ではない。同じ商品でも払える人は高い値(あたい)を払っていた。もっと言えば、富裕層には高い値を払う義務(?)があった。値切って買ってはいけなかったのだ。
士族の商法」という言葉がある。幕府瓦解以後に商売に手を出して失敗する元武士(士族)を揶揄したものだが、これはつまり、幕府時代の武士は近代的な会計から無縁だったことを示す。買い物は、商人を呼びつけて商品を持ってこさせ、買う側が適切と思う値を一方的に与えるだけだった、と読んだことがある。これが売り手にとって市価より高ければよいが、往々にして勘違いの値付けをされるので武士(殿様)相手の商人には悩みの種だった、とも。
 逆に言えばこれは、安く買ってはいけない、買う側の矜恃を売り手に示さなければならない、という規範があったとも言えよう。さすがに明治以後はこういう商習慣は廃れていくのだろうけど、買う側にも規範があるというノブレス・オブリージュ的な思考はつい数十年前までは残っていたと思う。それがとくに顕著なのが富裕層市場ではないかと。かつての百貨店の外商というのは昨今のデフレ下の営業マンとは違って、「私の見立てでお客様にふさわしい商品をお持ちしたのです。お気に召しますか?(お気に召さないとしたら私の見立て違いでしたか。お客様はこの品にふさわしくないですか)」という高飛車な、ある種の勝負のような仕事だったのではないかと思う。
 今、価格コムに代表されるネットの標準化力によって、価格は市場全体で下方へ下方へと落ちていく。ちょっと前なら専門店でしか買われなかった高級オーディオの類も量販店に並ぶようになった。贅沢品の安さを査定して買うってどうよ?と思う僕は世間からズレてるのだろうか。


■クラブ「アシッドパンダカフェ」の高野政所さんは鋭い人で、昨日書いた「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」中の「サタデーナイトラボ『タマフル的2010年最新クラブレポート』【後編】」では、こんな鋭いことを言っている。童貞をフィーチュアしたクラブイベントについて触れたくだりで。

「若いうちからセックスばかりしていると、良い表現者になれない」(25分50秒あたり)

 異論も多かろうが、僕はこれ、ホントだと思うよ。ていうかこれがわからない人、若いうちからセックスに不自由しなかった人は表現なんかしなくていいし、ちゃんとした“社会の一員”として暮らしてくれってことなんだよな。政所氏も宇多丸さんも、はたまた童貞思想の開祖ともいえるみうらじゅんも、当たり前だけど僕は支持しますよ(もっとも「こじらせる」という問題もつねにあるわけだが)。
 うーん高野政所、信頼できる男だなァ(声だけかもしれないが)。


■引っ越したのにカードだとか金融機関の住所変更をしてなかったので慌ててする。楽天に代表される新興ネット企業のカードは全部ネットで制御できるので楽だ。こんなんで与信になるのかとも思うが。
 反対に既存の金融機関は「届け用紙を郵送します」とかって、まだるっこしいことこのうえない。最悪だったのが某銀行系証券会社。某銀行の支店担当者を通してアカウントを作り、金融商品を買っていたのだが、「住所変更は弊社ではなく銀行の支店窓口へ申請してください」ときた。それっていったい何なんだ? 俺は銀行へは住所変更の届けはとっくにしてるんだが、証券会社さんの口座がなかなか住所変更してくれないから電話したんだけど。
 まあ世の中、いろんな大人の都合があるんだろうけど。たぶん僕も会社にいた時はこんなふうな内輪の都合をお客様に転嫁してたんだろうけど。大企業ってのは…あーあ、と思うのだった。士族の商法、という言葉をここで思い出したんですよ。